巨人の上原浩治選手が大阪体育大学に入学する前に一年浪人したのは有名な話ですが、浪人時代は一日7時間の勉強をこなす傍ら、予備校の学費を稼ぐためにアルバイトを3つも掛け持ちしていたのだとか。

今だから笑える苦労話として、出演したジャンクsportsで笑いながら語っていました。さて、その意外なアルバイトとは?

上原浩治の浪人時代の3つのアルバイト

  • 引越しの荷物運搬
  • 工事現場の警備員
  • スーパーの野菜売り場担当

さすがに予備校に通いながらのアルバイトだけあって、時間に融通がききそうな職種を選んでいる印象です。

引越しのアルバイトは、主に土日に都合のいい時だけ入ればよくてアルバイト料も日給としてもらえますし、工事現場も夜中だけとかが多いし、スーパーの売り場も忙しい夕方の時間帯だけとかで入れるので、予備校や家での勉強の時間とうまくやりくりしながら入っていたのでしょうね。

あと、大学に入学したら野球部ですぐに体を動かせるようにと、浪人時代からウェイトトレーニングもやっていたと上原選手が言っていましたから、アルバイトも意図的に肉体労働系を選んで体力作りの一環も兼ねていたように思います。

浪人時代の将来の夢は体育教師

東海大仰星高校時代は野球部でも補欠で無名の選手だったため、プロ野球の球団はおろか、どこの大学や社会人からも声が掛からず浪人生活を余儀なくされた上原選手。

一浪して大学を目指したのも、決してプロ野球選手になれるなどとは思っておらず、体育教師になりたかったから。だから志望校も大阪体育大学に。そして1年間の猛勉強の末、見事合格することができたのです。

上原選手は自身の著書「覚悟の決め方」の中で、浪人時代について「あの一年ほどつらかった時期は、私の人生にない」と語っています。大学やプロに入ってからのどんなにキツい練習や怪我との戦いよりも、先が見えず自分の将来に不安しか感じられない浪人生活のほうが精神的につらかったのでしょう。比べることなど到底できませんが、僕も一浪したので、浪人生のあのつらさは本当によくわかります。

しかし大学入学後、上原選手は持ち前の雑草魂で野球の才能を開花させ、人生の怒涛の下克上が始まります。その伝説のエピソードはまた別の記事で。