山崎康晃選手が帝京高校に入学する時に母親のベリアさんに送った感謝の手紙の全文を、山崎選手がツイッターで公開しました。ドラフトで指名された時、「お母さんありがとう」という特別生番組に出演したことからも分かるように、母親想いで知られる山崎選手。今ではそれが現実となった手紙の内容とは?

山崎康晃の生い立ち

毎年ドラフトを見ていて思うのは、母子家庭で経済的に苦しい中でも、野球を続けさせてもらった選手が意外と多いこと。山崎選手もそんな一人でした。

山崎選手は日本人の父親とフィリピン人の母親ベリアさんの間に生まれた子、つまりハーフです。兄弟は2歳年上のお姉さんが1人。

ベリアさんは19歳の時に来日して以来、日本に在住。その後、日本人男性と結婚して2人の子供に恵まれました。

でも、山崎選手が小学校3年生の時にベリアさんは旦那さんと離婚。それからというもの、日中は朝9時から夕方5時まで工場勤務、夜は8時から深夜1時まで飲食店と、2つの仕事を掛け持ち。

どんなに体調が悪くても1日も休むことなく、週7日勤務という過酷な生活を続け、女手一つで子供2人を一生懸命育てたそうです。

経済的に大変な苦労をしたことは想像に難くありません。夜の飲食店とは、いわゆる水商売。それが理由で山崎選手はいじめにも遭ったことも。

ベリアさんを日本にとどまらせた息子の一言

ベリアさんはそんな生活に耐えられなくなり、フィリピンへの帰国を考えたことも。それを子供たちに伝えると、小学生の山崎選手が、

「フィリピンでも本当に野球を続けられるの?」

と。ベリアさんはこの息子の一言で、日本に残って家族3人で頑張っていこうと決意したのだそうです。

息子から見た母親の背中

山崎選手はプロ入り後のインタビューで、息子から見た母親のことを次のように語っています。

お母さんは明るい性格で、僕たち子供の前で落ち込んだり愚痴をこぼしたりしたことは一切ありませんでした。異国の地で子供を守らないといけないという気持ちが強かったのかな。

体調が悪くてなかなか体が起こせない日でも必ず仕事に行っていました。幼い頃に夕食を家で一緒に食べた記憶は、ほとんどありません。

それでも土日は野球の練習に行く僕のために朝早くからお弁当を作ってくれました。疲れているのにキャッチボールをしてくれたこともあります。本当に嬉しかったですね。

そんなお母さんの姿を見ているうちに、気づいたら僕も皿洗いや洗濯物の片づけを手伝っていました。そして、中学生ぐらいで「プロになって母を楽にさせる」と目標を立てました。

帝京高校入学時に母親に宛てた手紙

その目標を実現させるために山崎選手が選んだ進学先は、野球の名門・帝京高校。母親同士が仲良しで、昔から知っていたお兄ちゃん的存在の森本稀哲さんと同じ高校にしたのです。

山崎康晃と鈴木誠也は出身中学と小学校が同じ!?地元のチンピラ!

そして、その目標を有言実行にするため、お母さんへの素直な気持ちを、15歳の少年が手紙という形で言葉に表しました。

今は、お金トカ、大変だと思うケド、
絶対、プロ野球選手になって
お母さん幸せにするから。応援して

それと絶対、甲子園に出場して
マウンドで投げてる姿を、お母さんに見せたい。
オレ、本当に頑張ってプロ野球選手になるから.
年収5000万もらって家でも、なんでも、
買ってやるから。

今は、こんなワガママで世話焼きな自分を、
ずっと見守ってください。
今までありがとう、これからもよろしく。

そして目標を実現させて、プロ野球選手になって初めての契約更改を終えた後、新人王を受賞した喜びと併せて、昔に書いた手紙を見直し、母への気持ちを改めて綴っていました。

姉・麻美さんも弟・康晃を応援

共に苦労を乗り越えたことで、家族の絆はより一層深まったのでしょう。姉の麻美さんもいつも全力で弟を応援しています。

親子の仲良しぶりが伝わってきます。

僕も2児の父親として、女手一つで2人の子供を育て、しかも私立高校と私立大学まで行かせて、息子の好きな野球をずっと続けさせてあげた山崎選手のお母さんには本当に頭が下がります。

入団5年目の年俸が、手紙に書いた目標の5倍、2億5000万円にまで到達した山崎選手は、お母さんにもう家をプレゼントしたのでしょうか。